気の向くままに書いてみる。

長文記事記録用。不定期更新あしからずm(__)m

私の看護観~初心忘れるべからず~

看護観・・・?

 

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看護観というとなんだか難しい感じがしますが

どんな看護師になりたいか、どんな看護師でありたいか。

全国に就業している看護師1,660,071人(平成29年)

さまざまな看護観があると思います。

そして看護師の夢を目指した時、看護学校で実際に学んだ時

就職して看護師として働いてからと、看護観が変わっていく。

より明確なものになっていくと思います。

私の看護観は…

学生時代に課題として提出した「私の看護観」がUSBに残っているので

ちょっと振り返ってみたいと思います。

 長文ですが興味のある方は読んでみてくださいm(__)m

 

私の看護観

 

入学前・入学当初の看護観については、発展・進歩している医療現場において、患者の一番そばに寄り添い支えられる看護師、気兼ねなく声をかけられる看護師になりたいというものであった。1年間准看護師として働いていた時も、自分の業務が終わり時間のある時には、病室へ行き患者さんと話をする時間を大切にしている自分がいた。

基本的にコミュニケーションをする場合には、例えば情報収集を行うためなどの目的をもって訪室するとされている。しかし私の場合は、部屋に訪室して患者の表情や仕草などを観察してから変わりはないか見ながら、気になる部分があれば話を聞いたり、また部屋の雰囲気が暗いようであれば、1人の患者だけにアプローチするのではなく、ほかの患者も交えながらコミュニケーションを図り、病床が居心地の良いものになるよう心掛けていた。その際には、世間話を含めながら患者の価値観や性格といった部分も把握できるのではないかと考えていた。また新人として時間配分もうまくできず、忙しかったのは事実だが、患者が声をかけやすいようなるべく自分から挨拶や「どうしましたか?」と声をかけたり、声をかけられた時も忙しそうにせず、対応することが必要だと思いそのように関わっていた。

そしてその後、看護学科へ進み2年の歳月がたった今、看護観として根本的なものは変わってはいないが、そのほかに大きく変わった部分もある。

それは患者に何らかの援助をする際に、個別性を含めた援助方法を考えるといったことである。働いていた1年間は、新人として業務を覚えることに必死になっていたせいもあり、患者に対する援助は一般的なもの、個別性のないものになっていたように感じる。また、准看護学科では基本的な看護技術を正確に行えることが求められていたため、個別性という部分がそんなに重視されていなかったのではないかと振り返って思うことである。それよりも、医師・看護師に指示されたことを確実に行えるということに視点が置かれていたと考える。しかし、看護学科では准看護学科で学んだことよりさらに深く幅広い知識を学び、またその知識をふんだんに活用しながら、どのような援助方法がこの患者には合っているかと、実習中試行錯誤したことが多く記憶に残っている。そのような点で、今まで一般的なことだけを行っていたことを個別性のある看護として変えていかなければならないと考える。

他にも看護師になった際には、判断能力も求められる。いちばん身近な存在であるからこそ、患者のちょっとした変化にも気付かなければならない。自分で何でも訴えられる患者の場合でも“こうしてほしい”と言いづらいことが多いのに、臥床状態で言葉も発することができない患者の場合には、こちらの観察がなければ変化に気づくことができない。高齢社会になっている今、今後その場面は多くあるのではないかと考える。その点でも、先日の看護研究発表で出てきていた、ナイチンゲールの3つの関心は、重要なものになってくるのではないかと感じることができた。また何か質問された際にも、曖昧な返答ではなく知っているものは正しい知識を提供し、わからないものは調べて提供するといった姿勢も必要であると考える。そのようなことを心掛けて関わると「自分のことを考えていてくれる看護師さん」と患者自身も感じることができるのではないだろうか。今まで勉強してきて備わった知識も含め、これからも継続した学びが必要であり、患者の変化を読み取ったり、生活を支えたりと3側面からかかわることが望ましい姿なのではないかと考える。少しの知識があるだけでも、多く気づく部分があると感じるため、これからも学びは継続していかなければならないものである。

実習の時や、まわりの方々に「優しい素敵な看護師さんになってね」と言われる機会が多いが、“優しい看護師さん”とはどんな看護師か自分に問うことが多くある。ただ優しくすることなら誰にだってできることで、ただ笑顔でいることもしようと思えばだれでもできることである。私たちはそれに加え、持っている知識を活用しながら、患者の知識に対し正しいものは正しいと肯定し、さらに情報を提供したり、間違っているものは注意でき、正しい知識を提供するといったことも“優しい看護師”につながってくるのではないかと考える。患者に対してどうでもいいという感情を少しでももつならば、その患者にとって最良の看護は絶対に提供できないし、むしろマイナスの方向に傾けてしまうのではないかと推測される。また、疾患に対しての看護も教科書上では記載してあるが、看護は病気だけを見るのではなく患者の生活をみるということを実習で何度も、実習指導者や教員から助言をいただき改めて感じたことである。そのためには、やはり知識は必要であり逆に知識がないまま看護をすることは、患者に危険をもたらすことは絶対である。それを頭に入れながら、本当の“優しい素敵な看護師さん”になれるよう頑張っていきたいと思う。

自分の夢は物心ついた時から“看護師さん”であり、今その夢が現実となろうとしている。しかし自分の性格上何か目標をもって生きていないと、時間を無駄に過ごしてしまう可能性があるため、また新たに目指すものを最近考えている。

臨床ではターミナル病棟で勤務しており、1年間勤務したうち何人もの死を見てきた。その中の1人の患者と関わった時、癌性疼痛が強く、ものすごく痛がっている患者を前に何をすればよいかわからず、ただ傍にいて背中を擦ることしかできなかった自分がいた。それでもその患者は「ありがとう、でも私にはあなたになにもしてあげることができない…こんなことしかできない…」と、私の爪を磨いてくれたことがとても印象深く残っている。痛くて話すことも、動くこともままならない状態であったのに、こんな自分でもまだ何かできるのではないかというその気持ちが凄く伝わってきた場面であった。その時は、その患者に対しもっと何かすることはできなかったのだろうかと自分の不甲斐なさから、涙を流してしまったことがある。2年間学んできた今なら、ただ背中を擦るだけではなく効果的に疼痛を緩和できる方法はないのか、気持ちが楽になる関わりはどのようにすればよいのか、家族はこの状態の患者を見てどう感じているのか、本人はどう感じているのか、何か希望はないのか…など、様々なことが頭をめぐり、患者と関わることができるのではないかと思う。看護師という夢が叶おうとしている今、次のステップとしてその時の悔しい気持ちを思い出し、緩和ケアや癌性疼痛ケアの資格を取ることも考えている。また、基礎実習で回復リハ病棟へ実習にいった時の患者の回復の過程を日々感じ取ることができ、それが自分の喜びにもなっていたことも考えると、その科へ進んでみるといったことも考えられる。他にも、在宅看護なども道の一つである。このように上げていくと、これからの自分の進む道について看護師という職から様々な方向へ広げていくことができる。まだ国家試験の結果は出ていないが、ただの看護師にとどまらず次につなげていけたらよいと思っている。

 

振り返ってみて

 

まず、なんか立派な文書いてますね。笑

というかこの量の文章を今書けと言われたら書ける自信がない。

新人の時はレポート提出の機会も多かったのでまだかけていましたが

年数重ねたり、外来勤務したりすると機会が減り

以前より格段に文章能力なくなっているような気がします…。悲

 

とりあえずそれは置いておいて…

 

自分で読んでの印象は、今も変わってないかなって感じです。

先日のブログにも書いていた通り、この文の中にも

患者に寄り添いたいという思いが感じられます。

ただ病院で医師の指示に従って淡々と業務をこなす看護師にはなりたくない。

後思うのがちょっとずれますけど

どうしてこんなに医者の顔色を窺って仕事しなきゃならないんだと。笑

今のこの時代、心のケアの必要性が重要視されている中

まだ「俺は医者だ、医者は偉い」って患者・看護師を見下している医師

いらっしゃるのでは・・?

看護師からしても好印象ではないし、患者さんからもどう思われるのか。

働いていても話しかけるなオーラを出してもらいたい指示ももらえない。

患者さんが伝えたいことがあるのに話を切って話を聞いてもらえない。

それを看護師から伝えても そんなこと みたいな感じで

ろくに対応してもらえない。

そんなようなこと結構あるんじゃないでしょうか?

私も看護師として患者さんにより良いケアを行いたいのに

家族の思いを大切にしたいのにと悔しい思いをして涙したことがあります。

しかもそれは患者さんの最後の時に起こったことなので辛かった。

他にも看護師はバカなんて言葉でいう先生もいます。ひどい。

患者さんの心のケアをする前に自分がどうにかなりますよね。

 

患者さんの心のケアに関しては、医師・看護師・多職種のコミュニケーション

情報共有がすごく大事になってくると思うんです。

医師が沢山の患者さんを抱えて忙しいのはわかります。

それでももう少し患者さんの声を聞いてほしい。

その場で聞けないのなら、看護師が代わりに聞いて伝えたことを

しっかり聞いてほしい。そして何かのアクションを起こしてほしい。

何でもいいです。

患者さんのところへいけないのなら私たち看護師が伝えます。

それも立派な看護の仕事だと思っています。看護師もうれしいです。

私が知っている医師では

もちろん患者さんの話はしっかり聞くし説明も丁寧

回診とは別に朝必ず自分の担当の患者さんのところへ行き声をかける。

他にも処置で必要な物品が病棟にないとなった時

自らほかの病棟へ借りに出る。(さすがにびっくりしました笑)

その先生とかかわった時間は短かったですが患者さんからも

スタッフからもかなり好印象な先生、神様みたいに言われてました。

そんな医師もいるのです。

 

すこしでもそんな医師が増えることを切実に願っています。

 

しかしながら先日かいた記事のまるごとケアの家を作った村上先生は

根本的に医者が変わるのは難しいので患者さんが変わってほしい

とも言っています。

確かに医師の忙しさと精神的な負担はかなりのものだと思います。

安定剤を飲まないと眠れない医師なんてざらにいると思います。

そうなるとやはり病院でも家でもない患者の心のケアの場所の必要性が大きい。

でもきっとその医師たちも医師を目指したに時は

多くの命を救いたい 患者の気持ちに寄り添いたい 大きな目標をもって

医師になった方沢山いると思います。

自分が押しつぶされそうになったとき、そのこと思い出して欲しいです。

 

少し患者さんに対しての関わり方も変わるんじゃないでしょうか。

そして看護師である私たちのより良いケアにもつながります。

 

そこまで言えるほど自分は偉い人間ではまったくないのですが

思ってしまったので気の向くままに書いてみました。お許しくださいm(__)m